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アンコールワットから新年のご挨拶

Diary

明けましておめでとうございます。今年も皆さまどうぞよろしくお願いします。

初詣・アンコールワット

新年はアンコールワットに行ってきました。こういうお告げを受け取りに行くような旅は大好きです。2週間前に急に決めました。なんとかなるを合言葉に飛行機とホテルを予約、そのあとからゆっくりリサーチして、カンボジアのビザや世界遺産の入場チケットをオンラインで申請しました。

わたしの住んでいるマレーシア・クアラルンプールからは1時間半の距離にあります。

乾季のカンボジアの天気は最高でした。33度という気温、頭上、真上から射す太陽。マレーシアの様に冷凍庫の様に寒い冷房は効いておらず、逆にわたしは過ごしやすかったです。土誇りの舞う中、早朝に空港に着いた私はタクシーで市内へ移動しました。

今日の目当ては国立アンコールワット美術館のみです。クメール文明のことについてあまり知らない。

“春分、秋分になると、お寺のてっぺんから朝日が昇る”

ということだけは知っていたので、そういった建築のことや、装飾の説明などを世界遺産のお寺にはいる前に見ておきたかったのです。

アンコールワット国立博物館

グーグルマップのレビューで音声ガイドを借りるのがいいと書いてあったので、チケットを買い、音声ガイドを借りて博物館を回りました。

~・*☾*・~

アンコール文明(またはクメール帝国)は、カンボジア、タイ南東部、ベトナム北部を含む東南アジアの重要な文明に付けられた名前であり、その古典的な時代はおよそ西暦800年から1300年の間でした。アンコールワットなど、世界で最も壮観な寺院のいくつかを含む中世のクメールの首都の。

アンコール文明の祖先は、紀元前3千年紀の間にメコン川に沿ってカンボジアに移住したと考えられています。紀元前1000年に設立された元の中心部は、トンレサップと呼ばれる大きな湖の岸にありました。真に洗練された(そして巨大な)灌漑システムは、湖から離れた田舎に文明を広めることを可能にしました。

~・*☾*・~

博物館の中庭には池があり、廊下や展示室に椅子がたくさん用意されている、回りやすい博物館でした。途中カフェでマンゴースムージーを頼みゆーっくり過ごしました。(朝3時に家を出たので眠い)

その日は午後ホステルにチェックイン後、夕食と市内観光をと思い、旧市街地を歩くことにしました。

街は東南アジア独特のカオス感、そして2日後に迫った2024年カウントダウンパーティー会場の設置で、なんか街自体普段よりも活気があったんだと思います。それにしてもこの感じ久しぶりです~

ある意味マレーシアでも平和ボケしている私。

なぜこんなにマレーシアやシンガポールが発展したんだろう?確かに住みやすい、便利、就労ビザびっくりするほど取りやすかったです。そして欧米、日本のリタイアメント後の生活として選ぶ人とよく会う国。

ストリートチルドレンのことなどすっかり忘れていました。タイにもよく遊びに行くけど、あまりというか、バンコクやチェンマイでもあまりストリートチルドレンはみないんだよな。

ここ、カンボジア、シュムリアップは久々に見る東南アジアの国でした。

もともとここに来る前から、以前ここシェムリアップに長期滞在していたアメリカ人、イギリス人の友人から、Scambodia“ぼったくりカンボジア”と呼ばれているから気を付けてね。とTukTukドライバーを紹介されていました。ただ、そういう人たちもいるけど、人々は優しいし、美しい国だから楽しんできてね~と。

平和ボケしたわたしは、けっこうびっくりしてしまいました。

子供を使う物乞いの人に会ったり、川沿いにあるフードスタンドでご飯を食べている最中に子供たちにワーワー言われる。どっと疲れてしまいました。なんだか食べる気も失せて、申し訳ないなと思いつつ、食べ物を残し、お店の人にお金を払い、(おつりが正しかったとかは0の数が多すぎてもはやわからない)その食事中にワーワー言われていた子供たちにそのおつりの一部をひとりづつわたしたら、わたしが残した食事をかっさらってどこかに消えてしまいました。その子供たちのお母さん(後ろに立っていた)ひとに笑われたのは気のせいかな?これしかくれないよこの人という感じで笑われた気がしました。

すまんね…。これしか出せなくて。

たったの1,2時間の間に色々あってトホホ。

勝手に値引きをしてくるお店の人との会話も苦手なんです。

「これ10ドル、でもあなたには5ドルにするから」

とか言われるじゃない。わたしの反応は「そんなことする必要ないからー!」欲しいものはいくら出しても買うよと言う意味。でもお店の人からしたら

は?

だよね。という感じのやりとりをなぜか道を歩いている間にたくさんして疲れてしまったのです。

道にとまっているタクシードライバーからは“大麻”を買わないかと聞かれたり。あなたからは買いたくないし、なんか必要ないかなって思ったのです。

最後のタクシードライバーとのやりとりはどうでもよくて

なんだか複雑なシェムリアップ滞在が始まりました。

遺跡めぐり

翌日から遺跡巡りがはじまりました。以前シェムリアップに住んでいたイギリス人友人の紹介でTukTukドライバーを1日雇い、色々連れて行ってもらいました。こっちが恥ずかしくなるくらい、シャイな男の子で、なんか困りましたが、わたしは失礼かもと思いつつ会話が途切れない程度に質問攻めにしました。その方が1日過ごしやすいかなーって。

とにかく朝8時からたくさん回りました。全部で30ほどある寺院にこの日だけで10は回ったんじゃないでしょうか?

ひとつひとつの遺跡を巡ったことというより、感じた事をここには書きたいと思います。

一番古い遺跡だと1000年ほど前のものもあります。石で作られているため、壊れているものもある中、しっかりと残っている像や石碑などはぞっとするほど、美しい状態のまま残されています。デザインの美しさや壁の装飾の美しさに心奪われていました。

その中でも印象に残っているのが、水の中に浮かぶお寺

Medicine Temple ニャックポアン

 

 

数ある寺院の中でなぜか印象に残っているこのお寺。かつては、人々の病を癒すお寺ということで信仰されていた寺院です。今現在は仏教徒によって守られている寺院です。わたしたちにとってはなじみ深いお線香の香りがします、そして、この国では仏教徒のお寺には蓮の花が飾られています。

この寺院に入るまでに蓮の葉が咲いた大きな池を横切る必要があります。なんだかそこを歩いている間に心が現れる感覚がありました。

下界とは離れて天界へ。

ではないけれど、なにがか次元の違うどこかへ、入った感覚がありました。

そしてもちろん、混んでいます。わたしが行ったのは12月31日のお昼。もしかしたら通常よりも混んでいたかもしれません。人はたくさんいるんだけど、なんだか気持ちのいい空間でした。

あー良いお寺着たーと自分のエレメントとぴったり合う場所に行くと、感じる特別な感覚ってあるよね。

1日の終わりに、夕日スポットへ

朝7:30から始めた遺跡巡りは3時ころに終わりにし、一度宿に戻ることに。同じドライバーにSunset tourをお願いしています。5時に迎えに来てくれるということで、シャワーを浴びて少し横になりました。わたしの滞在した宿は午後6時から午前10時以外はエアコンはつけないということで、お部屋はとーっても暑いので、プールサイドでゴロゴロしました。プールサイドでゴロゴロするとか慣れてしまった♡手荷物には気を付けつつ、いろんな人がいる中昼寝です。

アンコールワットの遺跡群のなかだけど、観光客が少ないよというTukTukドライバーのおすすめで、宿から5㎞ほど離れた丘に行きました。

確かにローカルしかいない、小さな丘でした。

こういった場所は大好き。なにか特別感を感じます。

例えば浅草の上野公園の桜は美しいけど、ローカル、観光客でごった替えしていますよね、わたしの秘密スポットは神奈川の多摩川沿いにあるのですが、サイクリングの人、地元の子連れの人しかいません。

そんな公園が好き。

そんな丘に案内してくれたシャイなTukTukドライバーに感謝しています。彼の名前はKongというのでこれ以降Kong(コン)と呼びます。

夕日スポットに連れてきてもらい、時間があったので、歩いている間にいつのまにか深い話に

コン:世界ではロシア。ウクライナやイスラエル、パレスチナの戦争が起きていて、いつどこで、何が起きてもおかしくないね。

わたし:そうなんだよね~この国についてさらに考えさせられました。(カンボジアブログその2に書きます)

そしてコンはわたしたちのいる丘から見える雨季には沈んでしまう、村を見せてくれました。

彼が言うにはこの村は、日本政府の援助で高床式の家が建てられたということ。

私は知りませんでした。

カンボジア人の彼は知っています。

彼の感謝の言葉や気持ちを受け取りました。

ありがとう、もしコンが言ってくれなかったら、この村の事を知らなかったでしょう。そして夕日が沈んだ後この村、そして目の前に広がる田んぼは真っ暗になりました。

電気がともらない、風景を見たことに感動したので

わたし:光が灯らないところで夕日をみれるなんて最高だね。こんなに夕日がきれいなことを忘れていました

コン:僕の故郷はこんな感じで、僕の村では21時になると停電で、電気が使えなくなるから、必然的に家族や友達の過ごすんだ。そんな生活を3年前までしていたけど、今は仕事のために、シュムリアップに住んでいるの。

まーそんな生活を一度でいいからしてみたです。なぜわたしは東京、韓国(ソウル)、カナダ(オタワ、トロント)、マレーシアを住む場所に選ぶのでしょうか?住民票は移さないまでも長期滞在はヨーロッパではオーストリア、スペイン、アジアではタイのパンガン島でしてきました。

どこに行っても高速インターネットのアクセスがあり、電気が問題なく使えるところにしか住んだことがないよ。

そういう生活は憧れではあるんだよね

ただ、そういう贅沢(?)わからないけど、便利な生活を生まれた時から与えられていた自分の人生に感謝しています。

どこまでも続く田んぼ、そして20世帯ほどが住んでいそうな村がぽつんとあります。

日が沈み、真っ暗になるまで座っていました。

帰り道、ローカルの家族が暗闇の中ピクニックをしていました。おじいちゃん、おばあちゃん、両親、子供たちと3世代の家族や、友人同士の様です。

なんか平和だな~

こういう光景を見ると、わたしの両親世代65歳以上の世代の子供時代はこんな感じだったんだろうな~と想像しています。

のどかでいいな。

まだまだ、書きたいことがたくさんあるので、次のブログでも引き続き、カンボジアのお話をします。

次のブログ:初詣inアンコールワット

* ⭐ *

年始早々、色々な事が起きていますが、皆さまの無事と安全をお祈り・祈願申し上げます。

Much Love ♡ Ayano

 


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